沖宮の御由緒

御由緒

琉球七宮八社の一つ沖宮は、神社の創始は不詳であるものの、『琉球史料叢書』の一節にその由来が伝えられています。

往昔、那覇港内に不思議な霊験があり、赫々(かくかく)たる光輝を放つものを国王が城中より得ました。これを熊野権現垂跡の霊木として尊び、この地に宮社を建てたのが沖宮のはじまりとされています。

翌夜より水面の光は再び見えなくなり、国王をはじめ一般大衆の尊信はますます厚くなりました。渡唐の官船、薩州往来の貢船、諸国出入の船や旅客に至るまで、貴賤の別なく航海安全と旅の無事を祈る神宮となったと伝えられます。

昭和十年には伊東忠太博士の推挙により国宝に指定されましたが、今次大戦によって灰燼に帰したことは誠に遺憾の極みです。

琉球古謡「上り口説(のぼりくどぅち)」の一節にある「沖の側迄(おきのそばまで)親子兄弟連て」との呼称は、まさに当神宮と沖山臨海寺を指すものと伝えられています。

シーサー

沖宮の沿革

琉球七宮八社の一つ沖宮は、沖縄八景の名勝奥武山漫湖を眼下におさめ、南国特有の海の色と入り江の美しい海岸を背に、緑と神威につつまれた古い歴史と尊い信仰を伝えるお山です。

往古から近代へ

海辺の鎮座と遷座

沖宮は那覇港第一桟橋に御鎮座されていましたが、明治四十一年、桟橋築港工事のため安里八幡の境内地隣域に遷座されました。

戦災と復興

御神託と天燈山

今次大戦で戦災を受け焼失したのち、比嘉真忠に「沖宮を復興せよ」との御神託がありました。実誠(じちまくと)と実相の歩みにより、神の道にも実地があり、何事も根があって初めて芽が出るという道理を教えられ、沖宮古木の根源を悟らされたことが復興のさきがけとなりました。

奥武山の三つの山

天燈山・日護森・銀森

天燈山は別名を天頭山・天地方とも称します。奥武山には三つの山があり、東の山を天燈山「黄金森(くがにむい)」、中の山を「日護森(ひごむい)」、西の山を「銀森(なんじむい)」と称えます。

真言宗の歩み

頼重法印と日秀上人

一三六八年に薩摩坊之津の一乗院から頼重法印、一五二二年に日秀上人・心海上が沖縄へ渡来し、真言宗を布教しました。琉球七宮を再興して国王をはじめ一般大衆の尊崇を集め、奥武山公園内に真言宗の隠居寺龍洞寺を建立し、奥武山御嶽を開山したと伝えられています。

御嶽には梵語を刻んだ黒石が今も尚昔を偲ばせ、霊験あらたかな神地・聖地として、沖縄随一の霊峯山と称えられています。

戦後、天燈山へ日参する歩みの中で沖宮復興への道が定まり、今日の祈りの場が築かれました。

シーサー